父が亡くなりました。
とても穏やかな最期でした。
とても優しい父でした。
お父さん、お疲れ様でした。
10年ほど前、少々若めの60代後半にアルツハイマーとなり、
だんだんと、だんだんと進行していきました。
風呂の入り方が分からなくなり、布団の敷き方が分からなくなり、服の着方が分からなくなり、、、
日々出来ないことが増えていきました。
ボケるとその人の本性が現れるとも言いますが、
そうなってからも本当に優しい父でした。
自分が分からなくなっていくもどかしさからか、恐怖からか、はたまた薬の影響からか、
時に暴力的になりそうな時もありましたが、そんな時はただひたすら自分をたたいていました。
我が家で飼う小さなワンコ(ミニチュアダックス)を理由もなく叩こうとしては、ギリギリで手を止め、そんな自分を必死で抑え、己と闘っている姿がとても心に残っています。
結局、息子の僕のことが分からなくなったあとも、いつもニコニコしていたような気がします。
3年半前から施設に入ることになったのですが、
その前後は歩くこと激しく。1日何万歩もひたすら歩き続けていました。
足の皮がめくれて血だらけになっても、施設の廊下をひたすら歩き続ける姿はなんとも言えず可哀そうでもありました。自分ではもうどうにも止められないのでしょう。
ベッドに拘束せざるを得ない時もありました。お父さん、ごめんなさい。
そして、母のこと。
父の様子がおかしくなってから、母はどんどん強く大きくなっていきました。
まずは施設に入るまでの間。7年間。その大変さは正直計り知れない。
僕は月に数度実家に帰るだけでしたが、母は毎日ですからねぇ。
父が施設に移ったあとも、週に2回、手作りの食べ物を食べさせに行っていました。
固形物から、だんだんとミキサー食へ。。
転々と、箱根の施設へ。曽我の病院へ。衣笠のホームへ。
3年半。往復数時間の道のりを車で300回以上。お母さんもお疲れ様でした。
幸い景色の良い海沿いの道のりのドライブを楽しんでいる感もありましたが^^
結果、この10年で、より父と母の、優しさと大きさと明るさを知る機会ともなりました。
父が亡くなる前の数日間。
僕も昼夜父と一緒にいることができました。
点滴も入らず、水分も食料も摂れなくなってすでに10日以上。
日付が変わり12月20日明け方。
さっきまで呼吸をしていた父。
ついウトウトしてしまった30分後、気づいたら父はもう息をしていませんでした。
静かに。苦しまず。
苦しまないで良かった。
お父さん、お疲れ様でした。
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